2013年10月2日水曜日

東田直樹さん問題③

②東田直樹さんの二面性について。

東田直樹さんには、いわゆるカナータイプの重度自閉症者としての状態像を示す東田さん(以下、自閉症東田さん)と、高い知性を持ち作家として活動する東田さん(以下、作家東田さん)の二面性がある。
その二面性が「実は内面に豊かな知性を持っていた自閉症者」として感動を生んでいるのだろう。そのどちらかが無ければ、よくいる自閉症者、あるいはアスペルガー症候群の作家というという以上の社会的影響力は無かったと思う。

なので、以後は便宜的に「自閉症東田さん」と、「作家東田さん」と呼び分けることにする。
呼び分けることのもう一つの理由は、「自閉症東田さん」は意思を表出するのに特定の条件を必要としないのに対して、「作家東田さん」は何らかの条件がないと表出出来ないということだ(少なくとも、文字盤かパソコンが必要という事は明示されている)。なので、表出内容の違いと、表出方法の違い、この2つが明確なので便宜的に呼び分けさせてもらう。


さて、実は私、ごく最近まで自閉症東田さんは言語表出を持たず、作家東田さんが意思を表出できるのはFCを用いているときだけだと思っていた。だがそうでは無いようだ。

ビックイシューさんのHPに非常に短い動画がアップされていた。→こちら

自閉症の僕、つづる心の内 詩人・作家 東田直樹さん
東田直樹さん著書『風になる―自閉症の僕が生きていく風景』出版記念記者会見
また、上記の記事によると自閉症東田さんにも言語表出があるようだ。
会話するまでは難しいのだろうが、取材に対して「4時になったら終わり」と訴えたり、会見が長引いて「つかれるー」というような文脈に合った言語表出をすることもあるようだ。

ここでいくつか不思議に思うことがある。
【1】作家東田さんの意思を表出するのに必要な条件は何だろうか?文字盤かパソコンさえあればいいのだろうか。母親やその他の援助者は必要なのだろうか、その他の条件は無いのだろうか。

【2】何故、作家東田さんの意思を表出するのに条件(少なくとも文字盤)が必要なのだろうか。文字盤が無くても自閉症東田さんは言語表出出来るのに、何故特定の条件下でのみ自閉症東田さんとかけ離れた言語表現が可能になるのだろうか。

【3】何故、作家東田さんの高い知性が自閉症東田さんの行動に反映されないのか。平たく言うと、何故『重度』自閉症者の状態像のままなのか。高機能自閉症やアスペルガー症候群の方々とも状態像が全く異なる。

【4】何故、自閉症東田さんの普段の生活がクローズアップされないのだろうか?作家として活躍されていることもとても喜ばしい。だけど、私は普段の生活を豊かで実りあるものにすることも支援者の目標の一つだと思っているので、普段の生活の様子も知りたいと思ってしまう。自閉症東田さんは、自らの力で得た金銭を使って、美味しいものを食べ、好きな活動し、欲しいものを手に入れることが出来ているのだろうか。

いくつかは、自閉症の特性として説明されることもあるようだ。ただ、既存の自閉症スペクトラムの概念で説明しようとするのは少々乱暴で、むしろ既存の自閉症スペクトラムに当てはまらない非常に稀有で、それこそ「奇跡的」な事例ということになるのではないだろうか。


ここで、一つだけ懸念がある。
自閉症東田さんに対して、深刻な権利侵害が行われているのではないかというものだ。
上記の朝日新聞の記事では、自閉症東田さんが取材に対して「4時になったら終わり」と言ってパニックを起こすのに対し、作家東田さんは「(記者に)帰ってもらいたいわけではない」と説明している。これに限らず、自閉症東田さんから発せられる意思と、作家東田さんから発せられる意思が、食い違うことが多々あるのではないか。
というより、「重度自閉症者にしか見えないのに、実は~」というのが前提なので、はじめから食い違うことが当然の設定になっているとも言える。

これらのギャップに対する説明は、保護者や作家東田さんから、自閉症の特性を理由に説明されるようだ。ただ、注意が必要なのは自閉症東田さんが意思を表出するのに条件を必要としないのに対し、作家東田さんはあくまでも「何らかの条件」が不可欠ということだ。
言語表出を持っているという点では同じなのに、条件の要らない自閉症東田さんと、条件の必要な作家東田さんとで内容が異なる、時には否定すらされるという事態は慎重に捉えないといけない。

つまり、本当に作家東田さんが自閉症東田さんの代弁者として正しいのか、公正な条件で明らかにされないといけない。そうでない限り、東田直樹さんに対する人権侵害が行われている可能性を否定できない。作家東田さんが自閉症東田さんの「本当の自分の気持ち」とされている以上、自閉症東田さんは常に軽んじられ、作家東田さんが優先されてしまうのではないだろうか。そして、自閉症東田さんと作家東田さんが、真に同一の存在であるという公正(=科学的)な検証はなされてない。
(検証の方法については、一つ前のエントリーを読んでもらいたい)
この問題のもっとも懸念すべきところは、世間の捉え方とは全く間逆の、『東田直樹さん自身のコミュニケーションが阻害され続けている。途方も無い人数の、しかも殆どが善意の大人たちの手によって。』という可能性があるということだ。

母親に手を添えてもらうことなく、文字盤やパソコンを使えるようになるために相当な努力をされたのだと思う。彼を支持する専門家があれだけいるにもかかわらず、そんな努力をしなくても、もっと簡単ですぐに事実証明が出来ることを、何故教えてあげなかったのだろうか。


誤解しないで欲しいのは、私は眉唾だといいたいのではない。じゃあ誰が本を書いたのかとか、講演で援助無しに話しているのはどう説明するんだとか聞かれても、私には分からない。
私の主張はあくまでも検証が必要という、ただその一点だ。


人は自分の信じたいものを信じようとする。
教育の現状に不満がある橋本さんは伝統的子育てで発達障害が治るなんて条例案を出したりするし、ゲームの嫌いの森さんはゲーム脳で発達障害になると言ったりする。わが子の可能性を信じたい親は、障害が治るという言葉に心揺さぶられる。
人は簡単に間違う。時にそれは、人の命まで奪う。ホメオパシーによって乳児の命が奪われたり、キレーションによって自閉症児の命が奪われるということもあった。
信じたから・理解したから、事実かどうか確認しないというのは間違っている。
人間は簡単に間違うので、事実かどうかを公正に検証しなければいけない。
どんな理論であれそれをしている人たちは、皆正しいと信じ・深く理解していたのだ。ただ、事実とは異なっていただけで。


私だって野暮なことは言いたくないし、有害なもので無ければ誰が何を信じようが信じまいが勝手だと思う。
それに、かなりデリケートな問題なので、 正直首を突っ込みたくないと思わなくも無い。
だが、東田直樹さんに関しては冷静な意見があまりにも少なく、最早疑う余地の無い事実として一人歩きしているところに怖ろしさを感じる。
FCにエビデンスがあると確認されたことは無いし、東田さんも公正な検証を受けたことが無い。むしろ、検証を避けていると思われても仕方ない。

どんなに荒唐無稽な話でも、エビデンスさえ示されれば認めざるを得ない。エビデンスがあれば、有効な支援としてより多くの人に用いられる。どんなに非難や排斥を受けていても、エビデンスさえあれば、それらは一転不当な非難とされる。逆に、エビデンスを示さない限りはいつまでも日陰者でしかない。キレーションの根拠の一つとなっていた論文が捏造されていたように、本来エビデンスは喉から手が出るほど欲しいもののはずだ。自閉症支援に誠実な立場であれば、エビデンスを示さずに効果を謳うということが、いかに奇妙なことがわかるはずだ。


多数の善意によって東田直樹さんの権利侵害が助長されている可能性あり、しかも今後は他の自閉症児にもその懸念が広がっていきそうな勢いだ。そのことをどうか頭の片隅にでも入れておいて欲しい。

0 件のコメント:

コメントを投稿